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2026-04-23 09:34:00
認知的複雑性と国語の関係
おはようございます。国語くらふと芦屋の大鹿です。以前、テレビでも有名な京都大学の某教授がラジオで「認知的複雑性」の話をされていました。その時は政治的イデオロギーについてのお話だったので、国語とは直接関係なかったのですが、国語を教える場合にも応用できるのではないかと思い、色々と自分なりに調べ考えてみました。
「認知的複雑性(Cognitive Complexity)」とは、情報を処理する際にどれだけ多くの次元を考慮し、それらの関係性を構造化できるかを示す概念です。中学受験国語、特に難関校の入試で求められる「真の国語力」は、この認知的複雑性の発達段階に大きく依存しているのではないかと思います。
以下に、その具体的な関係性を中学受験国語において文学的文章を読み設問に解答する過程に焦点を当てて検討してみます。
認知的複雑性が低い段階では、自分の一つの視点からしか物事を見られず、感情を一対一の直線的な因果(例:「犬が死んだから悲しい」)で捉えます。 これに対し、認知的複雑性が高い段階では、「悲しみ・感謝・後悔」といった複数の感情を同時並行的に保持し、かつ「自分」と「相手」の視点を統合して理解することが可能になります。難関校が求めるのは、この「脱中心化」された高度な心情理解です。
ところで、当教室では、三段論法でいうところの心情理解の大前提である人物像を重視しています。どういうことかというと、例えば、「国語くらふと芦屋」の教室に初めて来てくれた生徒さんがいるとします。当然私とも初対面です。その状態で、私がこのように尋ねたとしたら果たしてその生徒さんは答えられるでしょうか「さて私(大鹿)はどんな気持ちでしょうか?」答えは自ずと当てずっぽうにならざるを得ません。なぜかというと、その生徒は私のことを何も知らないからです。私の人物像を知らずに私の心情を答えることは、スパイファミリーのアーニャのような、あるいはミヒャエルエンデのモモのような特殊能力無しには難しいのです。
人物像の分析にも認知的複雑性が関わってきます。生徒にこの登場人物の人物像は?と聞くと多くの生徒達がこのように答えます。「…優しい人。」別に間違ってはいないのですが、問題はそれで答案が書けるかという点です。長くなり過ぎるので込み入った話は省略しますが、人物像を主観的側面だけに焦点を絞って捉えてしまうのは危険だと私は考えます。なぜかというと、主観的要素は相対的なものである場合が多いからです。皆さんも経験がありませんか?家人に不機嫌丸出しで散々怒鳴り散らした次の瞬間、近所の人に上機嫌で最高の笑顔で挨拶していませんか?相手によって場面によって主観的側面は大幅に変化します。ですので、人物像を検討する際には、極力客観的側面から検討するよう指導しています。簡単にいうと登場人物のWikipediaを作るようなイメージですね。様々な角度から登場人物にライトを当ててプロファイリングしていく必要があるのです。
会員様にお渡ししている当教室オリジナル読解マニュアルの「くらふとの書」にもこの辺りはかなり詳しく書いてありますので、お持ちの方は参照してみてください。
「くらふとの書」をさらにまとめたものをこちらに貼っておきます。頭の整理にご活用ください。
